こんにちは、kickです。小さい頃は自分が好きだ、日本が好きだということは、自分勝手なことで少し恥ずかしいことなんだと思っていました。なぜなら周りの大人がそう言わなかったからです。
しかし、今になって思うのは、自分のこと、日本のこのとを意識したり、学んだりして来なかったから、大人は言わなかったのです。知らないため、好きも嫌いも言うことが出来なかったのではないでしょうか。無関心が一番恐ろしいと言われたりします。まさにそうですね。自分や日本について無関心になるよう教育されてきたのです。
ある時、本か何かで知りました。「自分を好きでない人が人に好かれることができるのか、自分を愛せない人が愛してもらえるのか。もし、誰にも愛されないとしたら、自分で自分を愛し大事にしよう。」腑に落ちました。自分が好きな自分になりたい、なろうと思いました。それは恥ずかしいことでも何でもないのです。
これは、日本ついても同じです。日本人なら日本を好きになりたいですね。まずは知らないと好きも嫌いもわかりません。いつ日本が生まれ、いまに続いているのか、学んだことがありません。学校で習ったとしても覚えていません。なぜなら学んだことが腑に落ちなかったからです。なぜ腑に落ちないのか、それは、学校が日本を好きになるために学ぶ場所ではなかったということです。
これが自虐史観です。戦争に負けた時、アメリカの占領下で日本人が日本を好きになることを禁じたのです。日本や日本人として誇りが持てるエピソードは、わざと教えなかったそうです。その名残が今も続いています。日本は劣っていて全て西洋が優れているのだから、西洋を真似しなくてはならないと頑張ってきたような気がします。
最近はYoutubeで色んなことを学べます。動画を視聴すると考え方が変わります。日本は劣っていない、西洋に比べたら寧ろ優れていると言われているかたがいて、理由を聞いてみると腑に落ちてしまいました。先入観がいけなかったのです。
日本は戦争に負ける前、人種差別はしてはならないと国際会議で発言していたようですし、奴隷制度もありませんでした。女性が男性の所有物として扱われることもありませんでした。人として平等に、ただ役割分担をしていたのです。
2000年以上も続く日本の歴史と世界の歴史は全然違います。物事の考え方も捉え方も同じにはならないことを知らなくてはなりません。考慮した上で、諸外国の良いところを学び、取り込んでいけばよいのです。長い日本の伝統歴史を否定し、全て覆す必要は全くなかったのです。
例えば、日本の神様のトップは女性です。そのような国が女性を下にみてきたのでしょうか。男尊女卑の概念が生まれたのは明治維新、西洋文化が入ってきてからと聞きました。無理矢理当てはめて、女性の地位は下げられてしまい、男性と戦うことを強要されたのです。
よく考えてみると、女性が家を守り、男性が外に出て働くことは理にかなっていることでした。外の方が危険が沢山あります。そこでは体力がある男性のほうが命を落とす危険がないでしょう。子供を産むことができる女性が安全な場所で子育てするほうが、良いでしょう。国にとってもよいことです。子供がいなくなれば国は滅びてしまいます。
奴隷のように女性が働くのであれば、外に逃げる必要がありますが、安心して子供を守れる家があれば、そのほうが良いのです。
男性が子供を産むのであれば、男性が育てるのがよいですね。自然とはそういうふうに良い方に進化してきているはずなのです。そのような考え方もあるんだと知り、男女差別だと思っていた自分が恥ずかしいです。
日本人は言いたいことを言わない、空気を読みすぎるなど、諸外国から否定的に思われていると思っていましたが、角度を変えるととても肯定的なことになります。なぜなら、言わなくても感じとれる能力がある、周りの空気を読んで行動ができるということです。日本人同士は言葉に出さなくても意思疎通ができるわけです。だから、災害などが起きても落ち着いて行動できるのではないでしょうか。ただ現在は日本人だけのコミュニティが存在することが少なくなって来ました。そうなると日本人同士では通じたことが通じなくなることも当たり前のことです。それを臨機応変に相手をみて行動することが大事であり、自分の身を守ることになります。
自分を知った上で、相手を知り、対応していくことが、ストレスなく過ごす秘訣かもしれません。まずは戦前までの日本、日本人を知ることから始めたいと思います。^ ^
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